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【フル記事】ヌーソロジーで読み解くカタカムナ6500年ぶりに人類は「アマウツシ」(幅)から「カムウツシ」(奥行き)へ――――(2023年9月号)

深めて愉しむカタカムナ


1989年、冥王星の意識体オコツトとの交信を開始した半田広宣さんは、難解な情報を解読するための方法を、カタカムナに求めました。楢崎皐月さんに師事してともに研究を進めた宇野多美恵さんと出会い、オコツトからの情報とカタカムナの世界観は、まったく同じものであると確信したのです。


それから30年以上経った現在、ヌーソロジーとカタカムナの共通点、カタカムナ人の宇宙観、カタカムナの中で最重要といわれる第5首に秘められた謎、そして日本語を使う者に託された重要な使命についてなど、深い内容をお話しいただきました。

 

目 次

  1. 物(もの)は霊であり精神だった古代日本

  2. メビウスの環のように生きたカタカムナ人たち

  3. トキ・トコロ・ヒトはかつてひとつだった

  4. 共通する〝幅〟と〝奥行き〟の概念

  5. ウタヒ第5首に秘められた「アウノスへ」の重要性

  • ヌーソロジーで読み解く!「カムウツシ」と「アマウツシ」の意味

  • 半田さんが教える!スサノオが持つ刀剣名の由来

  • ヌーソロジーで読み解く!カタカムナウタヒ第5首の秘密

  • ヌーソロジーとカタカムナをつなぐ4つのキーワード


 

ヌーソロジー創始者

半田広宣さん

Kosen Handa

Profile

はんだこうせん◎(株)ヌースコーポレーション代表。ヌースアカデメイア主宰。1956年福岡県生まれ。1983年より、ニューサイエンスの研究を糸口として意識や物質を新しい視座でとらえる探究に入り、その後、独自の宇宙理論である「ヌーソロジー」を構築。それと並行して、形態エネルギーを実用化した製品の開発を行なう。著書『2013:人類が神を見る日(』徳間書店)、『シュタイナー思想とヌーソロジー』(ヒカルランド)ほか多数。現在、武蔵野学院大学ヌーソロジー研究所所長。客員教授。非常勤講師。

 

物(もの)は霊であり精神だった古代日本


―カタカムナについて、オコツトが話したことを改めて教えてください。


半田広宣さん(以下、敬称略) 

90年代初期、オコツトに「カタカムナの時代やアシア人は本当に古代の日本に実在したのか? 」とたずねたら、「ありました」と答えました。さらにオコツトは、「物質文明ではなく、精神文明だった」といっていました。


カタカムナ人にとって、いまの人間が考えているような〝物質〟という概念は存在しなかったそうです。カタカムナを研究した楢崎皐月さんも、カタカムナ人たちは、物質というよりも、いっさいを日本語の「モノ」という言葉で統一していたとおっしゃいました。このモノというのは、僕らが考えている物質のことではなくて、古い日本語でタマ(霊)などといわれるように、霊と物質が一体化したような形の「モノ」です。


 日本語でも、もの心がつくとか、もののあわれとか、もののけとか日本にはモノと心が一体化しているような表現が残されていますよね。彼らは、そういうモノという概念で世界を見ていた。彼らにとっては、意識(精神)と物質(モノ・霊)は同じ。ヌーソロジーでも「精神=モノ」という霊的理論がありますから、まさに同じなんです。



――すごい! ほかにも、ヌーソロジーとカタカムナの共通点を教えていただけますか。


半田 いちばんの共通点は象徴でいえば丸十字でしょう。カタカムナでは、「カムウツシ」と「アマウツシ」と呼ばれている丸十字のシンボルがあります。上の図で表すと、カムウツシは垂直方向、アマウツシは水平方向。


ヌーソロジーでは、これを物理学と接合させるわけです。この十字の形は、物理学では素粒子構造を数学的に記述するときの複素数平面で使う虚軸と実軸のこと。素粒子は、虚軸と実軸からなる複素空間でできていますが、この虚軸(縦軸)の意味がカムウツシに対応し、実軸(横軸)の意味がアマウツシに対応する。


 楢崎皐月さんもこのことをわかっていらっしゃったはずです。彼もカタカムナ人たちのカムウツシとアマウツシの宇宙観を素粒子と直接結びつけていましたから。

 

ヌーソロジーで読み解く!

「カムウツシ」と「アマウツシ」の意味


カタカムナ人は、「カムウツシ」という潜象次元と、「アマウツシ」という現象次元を統合した意識で生きていました。カタカムナで重要とされる十字の図は、カムを縦軸に、アマを横軸にして映し出された世界(ウツシ)を表しています。ヌーソロジーの「ヌース」がカムに、「ノス」がアマに対応します。カムウツシのトキ・ヒト・トコロが、アマウツシでは時間・人間・空間と、すべてに「間」が入るのが特徴。その「間」は「モノ」で、精神であり、霊。それは太陽であり、究極はシリウスということになります。カムウツシでは、その太陽(シリウス)をヒトが内包しているんです。いまから始まるのは、そのカムの世界です。(半田さん)

 

メビウスの環のように生きたカタカムナ人たち


――カムウツシが潜象界、アマウツシが現象界といわれていますが、カムウツシが見えない世界(霊的世界)で、アマウツシが目に見える世界(物質世界)という認識でいいですか。


半田 いえ、それは逆です! ヌーソロジーでは、霊的世界は見える世界のことをいいます。ほとんどの人が、「見える世界=物質世界」と考えますが、物質世界って本当は見えないんです。


 たとえば、皆、自分の目でモノを見ていると考えるけれど、目って自分で見えませんよね? なぜ自分に目があるか、なぜここに目があるか、なぜこの目からものが見えているかっていうふうに考えるかというと、みんな他者が見た世界を自分の見ている世界だと錯覚しているからです。


 つまり、鏡の世界に入り込んでしまっている。他者にはあなたの目が見えるじゃないですか。そこでイメージされている世界をコピーしちゃっているんですよ。つまり、鏡に映った自分を自分だと思っている。


 美容院の椅子に座って目の前の大きな鏡を見ると、そこに見える世界というのは全部自分の後ろじゃないですか。肉眼で見てる世界というのは鏡の中なので、全部が後ろです。僕らがいま宇宙と呼んでいるものは、基本的に他者から見られている世界なので、全部が後ろの空間でできているんです。本当の「前」が見えているわけではなく、じつは後ろの中で「前」を概念化しているだけ。この本当の「前」が、カムウツシの世界。だから、見える世界が霊だと言っているわけです。



――霊的世界、潜象次元が先に来るということですよね?


半田 そうです。カムウツシが本当の自分ですから。そして、これこそが「意識の反転」とヌーソロジーでいっているゆえんです。肉体というのは、外から見た自分です。そこに自分の拠点を置いてしまっている。それが「鏡の中に住んでいる自我」なんです。


 一方、カタカムナ人たちはまったく後ろなんて持っていません。そういうことも全部わかっていて、前を自分と見ていた人間たちです。前が自分だから、モノは自分になるんです。目の前に見える顔は私そのもの。あなたは私、私はあなた。モノのなかで自己と他者がひとつになる世界で、それがカムウツシの世界です。



――カタカムナ人は時空をどのようにとらえていたのでしょうか。


半田 カタカムナ人たちの世界にとっては、カムウツシのほうが神ですので、カムウツシからアマウツシができる、と考えていたんです。時間と空間の世界というのは、本当はモノから時空ができていると考えている。もしくは、カムウツシの中に入ったところから、こんどはアマウツシへカムウツシの世界を表現して、精神の世界を外にくり広げたところに、アマウツシが現れて精神がモノとして現れるという考え方です。カタカムナ人にとって精神というのは物質なんですよ。


 だから、アマウツシの世界の中で、カムウツシが物質として見えてしまうということです。時空の中では、精神が物質に見えてしまうからです。でも、カムウツシの世界の中では、「物質は自分たちそのもの」という関係になります。



――カタカムナ人たちは縦軸(虚軸)で生きていたということですね。


半田 そうです。カタカムナ人たちは縦軸を生きていながら、当然、横軸のことも充分わかっていました。縦軸と横軸の両方が備わって、世界を見ていたということです。カムウツシは内なる世界で、アマ

ウツシは外なる世界ですが、彼らは内と外を自在にメビウスの環のように生きていたということでしょう。4次元以上の意識を持っていたと思います。肉体も持っていましたが、僕たちが思う肉体とはまったく違っていたでしょうね。

ヌーソロジーでは、アマウツシは、鏡の世界にたとえられる。鏡の世界は他者視点の世界であり、そこに自我を置いてしまうと自己と他者を区別してしまう。対してカムウツシは、自分視点の世界。そこに映る物質や人間の顔は、すべて自己と同一であり、ゆえにワンネス意識を持つことができる。



トキ・トコロ・ヒトはかつてひとつだった


――いま、アマウツシの世界に生きている私たちは、どのようにしてカムウツシにシフトできますか。


半田 その前にいっておきたいのですが、アマウツシを外といって、カムウツシと比べて劣っているようにとらえてしまったかもしれませんけれど、そうではありません。

 彼らにとってはアマウツシが始まりの世界で、そこからカムウツシに入ります。そして、再び、カムウツシからアマウツシへと移っていきますが、最初からアマウツシにいる者と、カムウツシを経験したあとにアマウツシに入った者とはまったく次元が違います。カムウツシを通ってアマウツシに入ったアマウツシというのはいちばん次元が高いものです。


 ずっと人類は何万年も、その循環をくり返しているんです。アマウツシ(横軸)とカムウツシ(縦軸)がグルグルと交替しているのです。



――ヌーソロジーでは、調整期における人間は「人間」、覚醒期における人間が「ヒト」であると定義していますが、アマウツシ=人間、カムウツシ=ヒト、と結びつけられそうですね。


半田 おっしゃるとおり。人間のほうが霊性は低いです。「間」という漢字の門構えの中に「日」が入っていますよね。ヌースの解釈でこれは、二人の人間の間に太陽が入っているという意味です。

 間の本質とは、太陽です。太陽は、じつはふたりの自己と他者の間の結びを持っているものでもあります。この霊結 (たまむす)びが起こっている場所が「モノ」です。オコツトはそれをシリウスだといっています。カムウツシの世界も同じです。



半田さんが教える!

スサノオが持つ刀剣名の由来


 “幅”とは、過剰だと物質意識になってしまうもの。それは古語で大蛇のことをいいます。オコツトによると、ヤマタノオロチとは8つに分かれた幅のことです。方向としての6つの幅、時間の過去と未来という幅の計8つで、それがヤマタノオロチの正体です。


 日本神話によれば、この幅(ヤマタノオロチ)を退治するため、スサノオが持っていた刀剣が天羽々斬(あまのはばきり)です。幅を斬るんです! 古事記などでは草薙剣とか雨叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)などとも称される剣と同じです。ちなみに8つの幅を図象で表すと、正八面体という神聖幾何学模様になります。これを上から見ると、カタカムナの中心図形のひとつ、「フトマニ」です。(半田さん)

カタカムナの「フトマニ」は、天羽々斬( =草薙剣) の切っ先を表している。

 

――ヒトは「間」が要らないということですか?


半田 カムウツシのヒトは、間がないわけですから、もう太陽そのものだといえます。太陽のような存在として、霊が働いてくれています。カタカムナの第1首に出てくる「マノスベシ」とは、「間を統べる」という意味になります。すなわち、モノ自体になる、人間の自己と他者の間にあるモノを統べていくということ。そして、最終的には間が消えていくという意味になるのです。


 いまの時代、自己と他者の間にも距離がありますよね。人と人の間にモノがあることで、時間や空間が生まれる。しかし本来、人(ヒト)と時(トキ)と所(トコロ)というのはすべて同じモノ。天人地という言葉がありますが、あれは本来の姿を現す言葉です。天がトコロ、人がヒト、地がトキ。これらの天人地がすべて同じになるという意味なんです。



共通する〝幅〟と〝奥行き〟の概念


――ヌーソロジーでは、幅と奥行きという概念がありますが、カタカムナの世界観と関係していますか?


半田 はい、とても関係しています。アマウツシが幅の世界、カムウツシが奥行きの世界です。目で見える幅と違い、奥行きは見えません。

 どんな遠くにある月も、近くの10円玉も同じ大きさに見えますよね。それが僕らが生きている場所です。カムウツシに生きているんだけど、鏡像空間なので、前の世界が幅になってしまっている。なぜかというと、他者から見ると奥行きが幅になるからです。その巨大空間をコピーしてしまい、3次元の認識で奥行きを幅と認識してしまっている。



――幅は、あり過ぎるとよくないのですね?


半田 幅とは簡単にいえば、時間と空間の世界を作るのですが、幅の世界ばかりで宇宙を見ていると物質意識になってしまうんです。つまり、本質的な、霊的な意識が忘れ去られてしまう。

 科学がよい例で、すべてが幅です。尺度も幅が作っているので、その世界の中で、方程式とか関数とかで物理法則を作り上げてきたのですが、霊的なものが入る余地がどこにもないですよね。これは、本質が失われていくということです。


 また、幅の世界では量で価値を判断するようになる。実際、世界の富豪は権力もお金もたくさん持っていますよね。3次元の世界は、目で見えるため、質より量を重んじる傾向があり、奥行きでなく、幅的な視点になります。これだと精神性が失われ、霊的な感覚がなくなってしまう。


 いま、6500年続く覚醒期に入りました。再びカタカムナ人のような奥行き的な視点に立ち還るときに来ています。



――半田さんのいう奥行き的な視点で生きるためには、現代人には何が必要でしょうか?


半田 自分軸を立ち上げること。自分が宇宙を経験しているのは、3次元空間の幅で経験しているのではなく、奥行きにおいて経験していると認識する。奥行きの中に自分のアイデンティティもすべて入っています。


 哲学的な表現をすれば、奥行きとは、持続空間、流れない時間がある場所であり、自分の記憶もすべてそこに詰まっている。もっというと、奥行きとは、自分の魂とか霊の世界です。あらゆる視点を自分軸にし、どう思われたっていいという考え方で生きてほしい。そのためには、実存のほうの自己を立ち上げる。それは自己軸であり、奥行きですから。



ウタヒ第5首に秘められた「アウノスへ」の重要性


――数あるカタカムナウタヒの中で、どれかひとつ、ヌーソロジー的な解説をいただけますか?


半田 代表的な5首をヌーソロジー的な解釈をすると、カムウツシとアマウツシの流転していく様子を語っています。「ヒフミヨイ」が1~5の5段階、「ムナヤコト」が6~10の5段階になります。「ヒフミヨイ」でカムウツシの世界を作ります。間に「マワリテメクル」がありますが、そこで間を割って、めくるんです。


 間が割れているとは、アマウツシの活動のことで、自己と他者が割れている状態です。「マワリテメクル」のもうひとつの意味として、まわるが自転、めくるは公転。「ヒフミヨイ」でカムウツシができ上がって、アマウツシの活動に譲るのです。そこで次の覚醒が起こり、再びカムウツシへと移り、「ムナヤコト」のプロセスを辿ります。最後にもう一度アマウツシの活動に移り、これまで経験したことを、アウノスヘシレ(合う、統べる)、すなわち〝互換重合〟するのです。


 最後のカタチサキの「サキ」にも、多重構造の意味があります。形のほうが「先」にあるのだという意味と、形を「割く」、「(花が)咲く」などの意味が重ね合わされていると、僕は考えています。

 

ヌーソロジーで読み解く!

カタカムナウタヒ


第5首の秘密


左図はヌーソロジーでいうところの円環状の宇宙観を表しますが、オコツトによると、カタカムナ第5首は、この2万6000年の宇宙サイクルを表しているそうです。2万6000年前から始まった歳差周期の運動は2012年で一回転。互換重合して新たな覚醒期に入ったのが、いまです。(半田さん)


――カタカムナ文字の中心にあるヤタノカガミは、どのような意味や役割があるのでしょうか。


半田 カタカムナ文字はすべて多次元構造ですから、紙で見ると平面に見えますが、本当は立体構造です。八咫鏡(ヤタノカガミ)も立体物で、あれは時空を作る大元の装置です。空間を見ている位置なので、5次元から見た4次元を示す形です。これは確実。あの図は5次元意識でないと描けません。


カタカムナ人にとっても、1次元、2次元……6次元という次元感があったはずですが、本当はすべて

の次元が球体なんです。そして、層のように重なっていきます。


 太陽系なんかも太陽中心に球体が配列されていますよね。原子もそう。地球マントルや核などもレイヤーに重なっていますよね。大元が次元です。それが物質世界に投影されています。われわれも直線的な幅的世界で次元を増やすのではなく、そういう次元間を作らないといけない。


 さらに上位次元は下位次元をすべて含んでいて、下位次元は上位次元に投影されます。カタカムナの時代には、物質構造をそういう精神の投影と考えて、物質構造から精神の本当の形を探ろうとしたんですね。

 彼らにとっては時空もひとつの霊(タマ、球)です。タマ=マリ(毬)です。トキ(時)、トコロ(所)のマリ。次元がレイヤーに重なっていくように、多重になったマリを彼らはマトマリと呼んでいました。すべてが壮大につながっていくのです。



――前回、オコツトが「日本語の精神が太陽系を統括している霊であり、大元となる言語の霊は日本語に宿っている」とおっしゃっていました。私たちも深くカタカムナを学ぶ必要がありますね。


半田 日本語というのは、そういった宇宙のしくみをすべて含んで成り立っています。オコツト情報によると、言葉が最終的な霊であり、カムウツシを通過してアマウツシへと至った霊の影こそが言葉です。


 聖書にも「最初に言葉ありき」という一節がありますが、それは何かというと、言葉が種子だからです。宇宙を花開かせていくための種。人間が神から花開かせるため預かった種子が言葉なので、それを大事に育まないと、宇宙に花が咲きません。


 特に日本語に関しては特別で、オコツト情報によると、宇宙の始まりも終わりもないような無限の精神を日本語は宿しています。日本語はあらゆる言語の大元です。

 そういう日本語を僕らは幸運にも授かり、人と会話し、思索できるわけです。その恩寵や重要性を感じて、その言葉に自分自身の意識が接していくという態度が必要だと思います。日頃使う言葉と誠実に接しながら、カタカムナを探究する。その両輪をまわすことが理想でしょう。

 

ヌーソロジーとカタカムナをつなぐ

4つのキーワード


カタカムナを知るほど、ヌーソロジーとリンクしてくると、半田さんはお話しされます。2つをつなげる4つの基本概念をおさらいしましょう。


1 ヒフミヨイムナヤコト

カタカムナ人は数字にも霊魂があると考え、1~10までの数 に意味と、その原因になっている力や魂について説いている。それは、あらゆるものの根源、潜象の始元を現すヒ(1)が、フ(2=対、負、増える)、ミ(3=生命の実体、回転エネルギー)、ヨ(4=四相性)、イ(5=現象物の磁気と電気の粒子、万物の正反)、ム(6=六方環境、広がり、電子をつくる現象)、ナ(7=生命になれるかどうかの鍵)、ヤ(8=飽和、還元、極限の分岐点)、コ(9=何回ものくり返し、継続の意) のプロセスを経て、最後のト(10)で重合・統合が発生することを示す。


2 アウノスへ(互換重合)

アウ(=重合)とスヘ(=互換)の両方の意を持つ言葉で、カタカムナを解くうえで重要な概念となる(「スヘ」は「術」「統べる」の意も含む)。互換重合とは、2つに分かれたものが、おたがいを変換し合い、その変換し合ったものどうしを、重ね合わせるという意味の言葉。そうして霊は自らを重合さ

せながら、この豊かな自然世界を物質として立ち上げている。


3 マリ(毬)

相似象学会誌第四号によると、マリとは現代物理学でいうところの「粒子」のことを意味し、「物質の質量といわれているものは、このトキトコロのマリの量によるものである」と、規定。トキトコロのマリの密度が増せば、物質の質量が大きくなる。すべてを球体で考えていたカタカムナ人は、空間や時間といった延長性がどのようにして微粒子の中へ入り込むかというしくみが見えていたといわれる。


4 トキトコロ

現代語でいうところの時間と空間の意味合いと異なり、トキは粒子の発生、トコロは粒子が凝集する場のことを表す。これについては、カタカムナウタヒの第8首「トコロチマタノ トキオカシ」にて表明さ

れている。重合がくり返されて粒子が現れ(トコロ)、それら粒子がさらにさまざまに変遷していく(チマタノ)。これら発生した粒子は、根元の力から生じたものである(トキオカシ)と詠われているとも。

 


この記事は月刊アネモネ2023年9月号に

掲載されています。

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